渋谷らしさと原形地

「私が13号線建設促進議員連盟の会長に選ばれたとき(1997年7月)、突然のごとく、それまで幻だった13号線の池袋〜渋谷間の建設が決まりました。」 (矢部一ホームページより)

建設促進運動をしてきた地元議員や渋谷の人々にとっても、地下鉄13号線建設が突然決まったことは大きな驚きだったようです。同じ頃に、幻の都市計画道路といわれていたマッカーサー道路(環状2号線)の計画内容が見直しされ、その後着工されているのを見ると、この時期、バブル崩壊後の日本経済の低迷を下支えしようと、それまで塩漬けにされていた公共事業が総動員されたのかもしれません。

そもそも渋谷駅の周辺整備構想としては、「渋谷区土地利用計画」(1990年10月)の二重のリング状道路計画とその内側リング内をトラフィックゾーン(通過交通を排除してゾーン内の歩行者と車の平和共存を図る)とする構想がありました。またそれに基づく駅の整備構想として「渋谷駅周辺の整備のあり方について」(1991年1月)があり、その後の状況の変化に対応して「渋谷駅周辺地域再開発計画策定調査」(1994年2月)が行われています。地下鉄13号線着工と、その東急東横線との相互直通運転が現実の日程に上ってくると、東京都は改めて、「渋谷駅周辺の交通基盤等検討委員会」を設けて、明治通り(都道)のアンダーパス化を視野に入れた渋谷駅とその周辺整備の構想をうちだし、国交省も「渋谷地区道路空間利用検討委員会」において、国道246号線のオーバーパス化(バイパス化)を首都高の再整備と併せて検討し始めました。そこで渋谷区は、これらの広域的な立場からの計画の動向を踏まえ、「区民の立場からのまちづくり構想」を示すとして、渋谷駅周辺整備ガイドプラン21委員会を立ち上げたのでした(2001年7月)。

渋谷駅周辺整備ガイドプラン21委員会の調査対象区域は東京都の副都心整備計画の範囲に一致する、渋谷駅を中心とする半径500〜900mの広い範囲です。しかしながらその主たる関心は、駅と広場とそれに接する狭い範囲(コア部分)の整備構想を示すことだったようです。即ち、渋谷区の中間報告である「渋谷駅周辺整備ガイドプラン21・平成13年度とりまとめ(2002年3月)」を見て、何か特別な場所と勝手に思いこんでいた渋谷駅と広場が、高層駅ビルと大規模歩行者デッキという現代日本の標準的な駅再開発の流れにあっさり巻き込まれようとしているのを私たちは知ることになります。そして2002年9月に「渋谷駅周辺整備のためのコンセプトの提案」をすることになったわけです。

翌年発表された渋谷区の最終報告「渋谷駅周辺整備ガイドプラン21(2003年3月)」は、歩行者デッキの具体的な図面が目立ち、またその中の渋谷駅上空区域の想定延床面積や段階整備プログラムからは、2棟の超高層駅ビルが予想されるものでした。そこで私たちは以下のような渋谷駅と広場の未来を想像してみました。

しかし実のところ渋谷区の最終報告「渋谷駅周辺整備ガイドプラン21(2003年3月)」を子細に読むと、中間報告では明瞭だった、この渋谷で高層駅ビルと大規模歩行者デッキの絵を描くという意図は少し後退して、むしろ駅の利便性向上のための地道な交通基盤の検討に関心が向けられていた様子でした。つまり山手線ホームのアイランド化、埼京線の嵩上げや北側へのホームの延伸、さらに4階のスカイウォークや西口広場バス停留所の地下化、あるいはR246のバイパス化を前提とするバス停留所の建築物内設置についてなど、幅広い検討がなされていました。

そうした検討は委員会の終了した2003年3月以降も鉄道事業者の間で進められていて、地下鉄銀座線ホームをアイランド式にして現在の位置より東、渋谷駅と旧東急文化会館跡地の間の明治通り上空に移すこと、あるいはJR埼京線ホームを山手線ホームと並列することなど、あらたな交通基盤整備構想が伝わり、また新聞にも掲載されました(2004年7月21日・日経新聞)。

一方、渋谷駅周辺整備のためのコンセプトの提案以来私たちは、街の人々と対話を重ね、認識を互いに修正しつつ共有するにつれて、提案しているコンセプトに基づくもう一つの渋谷駅と広場の将来像を、具体的に描くことが要請されているのを感じていました。そこで、渋谷駅周辺整備ガイドプラン21委員会やその後の事業者間調整で積み重ねられてきた駅の利便性向上のための地道な交通基盤の検討の延長線上にそれを描いてみたのが「渋谷の未来B」というわけです。

以下、配置図、地下1階〜3階の平面図、CGパースで詳しく説明します。